2010年12月14日火曜日

クリスマス商戦CM

クリスマス商戦で何が増えるかというとテレビでの香水のスポット。
12月にはいると俄然多くなるのだけど、なかでも気になったのがこのスポット。

ディオールの男性用香水、野生の水に若き日のドロンが出てます。もちろんドロンだと知ったのはyoutubeの解説見てからです。ドロンの最盛期を知らないので、若き日の…といったところで感じるべき感慨を感じられないのがもどかしいところですが、私が思ったのは、「え、男性同士で惹かれあうのがコンセプトのCMなの?」。
その後すぐに、今度はFiat 500のバービーバージョンのコマーシャルスポット。
女の子が視線で誘って実は相手の身につけている物をゲットというコマーシャルではわりと良くみる筋書きだけれど、これは相手も主人公も女の子。
同性同士が主人公のスポットが立て続けに。でもだからと言ってそれがたとえば、この社会の認知度の指針になるかと言えばそれとは関係ないよう。
一般と違う、ステップを一段高くするんだか横に置くんだかはどうだかわからないけれど、一種の変化球として、それを利用している程度のことなんだろうけど…。
それを深読みしたくなるのは最近読んだ「ミゾジニー」についての新書のせいかもしれない。

2010年7月30日金曜日

7月も終わり

とうとう7月も終わり。
街にも会社にも人影が少なくなり、私は夏ばてだ。

数年前と比べたらそれでもお店は開いてるし、観光客の数も増えた。

バカンスを取られる皆様、楽しい夏休みを!

2010年6月5日土曜日

文化の違い

国際結婚ということでジャーナリズム専攻の大学院生にインタビューされた。

私は日本人と結婚したことないので同国人との結婚と比較することはできないのだが、と前置きした上で経歴を少々話したが、はっきり言ってあんまりその文化の違いに由来する何か、というのを私自身は見出せないので、大学院生もインタビューのし甲斐もなかったのではなかろうかと思う。申し訳ない。

義理の両親との関係においても、ほかの義理の両親を持ったことがないし、実際のところ、逃げ道的な言い方で申し訳ないとは思ったが、「人による」んではないかと。私の場合、申し訳ないほど義母との関係も良好なので、洋の東西を問わず言われる嫁姑の確執のようなものもあまりわからない。

自国から出たことがなく、自国の人以外と接する機会の少ない人にとっては、遠き日いずる国から来た人のカルチャーショックはそれこそ計り知れないものと想像するのだろうが、それによる苦労、みたいなものはないような感じがする。この11年間のうちに見失ったのであろうか。そんなことはないと思うが。

カルチャーって言ったって、習慣の違い程度のものならばショックではない。慣れるだけというような。ま、なんでもソフトタッチで動く電子でポップな都市、トーキョーから来たものとして、鉄製機械仕掛けのマニュアルなトリノは20年くらいバックトゥーザ近過去という感じではあるが、これ、たとえば日本の過疎化したような田舎に嫁ぐのと比べたら屁でもないような気がするし。

だから、文化の違いって何、と思う。厄介な問題に突き当たってしまった。厄介というのは、別に考える気もなかったのに思い出さされたという意味で。

来週あたり夫にもインタビューするそうだ。私は夫がどういう風に思っているのかに興味津々。ただ、それもやっぱり個人的なレベルでの話しに終始すると思う。文化にまで波及するような壮大な夫婦ではないから。

2010年5月7日金曜日

気分はすっかり林芙美子

桐野夏生の「ナニカアル」読了。

ボルネオやジャワに引き付けられる。それと、その生涯のどこまでが真実なのかも。事実を知りたいわけじゃないけど。
新宿の記念館にも行ってみたいな。

ただし、最近の桐野さんの作品全般について思うことなのだけど、一番の山のところでぷつりとエピローグに入ってしまうあたりが残念。今回も、従卒らは本当に監視に当たっていたのか(少なくとも松本はそうだろうけど野口は?)斎藤の嫌疑はどうやって晴れたのか、芙美子の嫌疑もどうして?と一番の山のところでいきなり出産の話になってしまう。

しかし気分は林芙美子。今日のカレーにも「やはり外地の茄子は水っぽく大味だ。身のしまった小ぶりの茄子が恋しい」とか言いそうになったもん。

2010年5月6日木曜日

近い。

かなりどうでもいいことですが、こちらの人間の他人との距離というのは日本人のそれに比べて近い。

それは11年たった今でも同じ。

たとえば義母。たとえば会社の人。たとえばかかりつけのお医者さん。スーパーの列でまっている間のおばさんたち(この辺は生存競争かかっているという別の意味も含む)。

挨拶の種類に接吻、抱擁が含まれるカルチャーならではという気がしなくもない。
接吻について言えば、音を立てるだけでなく本当にほっぺにキスしてくる人。ほんとうに情の深い人とかが多いのだが、これはやっぱり戸惑う。

その辺の距離の近さは男女関係ないのでその辺も要注意だ。

最近はこの近さを(特に男性と対峙しているとき)特別な親近感と勘違いする女子、をするふり、を自分で眺めたりする複雑な技に磨きをかけている。これってでも、イタリア女子は普通にやっているからな。親近感を振りまいたあとで、なにげに罵倒したりするし。女は怖い。

のけぞるほど近くに寄られたり、腿、こすれあってるんですけどという位置に座ってきたり、いろいろあるがほんとうにそれ自体意味がない。その意味のなさに、やっぱ私はそういう風に育ってきていないというのが激しく反応する今日この頃です。

2010年5月5日水曜日

飲んでそのまま車で壁にドン!

先々週は映画見まくりだったのだが中でも2度見するほどよかったのが邦題「愛よりも強く」。
ドイツ映画だそうですが トルコ系ドイツ人の監督作品らしく、トルコ系移民を中心にしたお話。
監督の才能をうかがわせる激しい映画です。
とか書いてるけどほんとは主人公を演じたビロル・ユーネルという俳優がかっこよかったというだけの話です。私は歩くターキッシュデライトと名づけました。
昨年のSOUL KITCHENにも出ていらっしゃる。みなきゃ。
表情筋に人生を投げた感じがはみ出ていて。
飲んでそのまま車で壁にドン!

ドンした先で主人公のシベルに出会うわけですが、彼女も魅力的。
逃げ延びた先の故郷で、テレビに同じ名前の重量挙げ選手が出ているのを、「がんばれシベル」と応援するとこなどすごく可愛い。
それにしても日本のDVDのパッケージはあまり的を得ていないと思うな。ヨーロッパのエロ映画的だもん。
あのパッケージに惹かれて手に取る人は、そんなに満足しないと思う。
性的なことに縛られるのも人間というのを含みつつ、性的なこと以外に汲み取るところのたくさんある映画だという気がするけれど。

2010年5月1日土曜日

髪を切った

髪を切った。
髪を切るまでの逡巡としていつも行くところにいく以外に、最近ちょっと増えてきている中国人美容室にいってみるという選択肢があったがちょっとのぞいてみて男の美容師さんばっかりだったので怖くなってやめた。お客さんは割りとイタリア人の女の子とかいたけど。

去年日本で髪を切ったときは、若い男の子の美容師さんだったが、彼と話をしていて私の日本での実年齢というのを思い知らされた。やっぱり敬語だし。なのに若さからくる傲慢さみたいなものも感じたし。(別に失礼な態度というわけではなく、年代違うし、みたいな正義のようなもの。)
この年代の違いみたいな溝は、言いたいことをずばりと言ってのけてくれるという効果もある。あれ、年代同じだったら言わないだろうな、という。私の場合、「ずばり言うと、ふかわりょうみたいでしたねー」と。後ろのボリュームが多すぎた点を指摘しての弁。
あまりに的確だったので思わず一緒に笑ったわい。

で、いつもいく美容室では。
行く前からCarrèにしよう、そうしよう、と美容師がときめくのはわかっていたのだが、やっぱり。
普通にそろえてほしいのですが、の弁の出る幕もなく、「うん、長さもあるし、こうしよう」とCarrè決定。
Carrèとはおかっぱですね。
今回は前髪ばっさりやられなかっただけましかなぁ。
美容室で髪形についてああだこうだ言うのに腰が引けるという点を勘案しても、もうちょっと自己主張してもよかったな自分、とは思うのだけれど、なんか鏡越しに会話する際、そういう主張がなかなかし辛い。

ブロウにブロウをかさね、最後にヘアアイロンでまーーーっすぐに。
美容師的には一仕事した!という満足感でいっぱいになるのだろうけど、こんなブロウ、私自分じゃしないぞ。
でも、最近はこうして美容院で手間隙かけてもらって出てくるのもなんだかすきだな。

周りの評判は「あーあたしも小さいころこんな髪型にされてたー、やだったなー」という感じです。ありがとう、素直なみんな。

ターキッシュ・デライト

夫の滞在中父が託したお土産の中にターキッシュデライトがあった。
日本のお土産に、ターキッシュデライト。
さすが、うちの父。いかにもうちの父。そんな怪奇な行動と思ったら年金生活の余裕に任せ、最近は海外旅行三昧なのだった。最後に行った場所が確かトルコ。
いわく、「10日は長い」。
さすが、戦後を支えてきたジャパニーズビジネスマンの権化。
ターキッシュデライトはそのお土産、ということか。

デライト、という言葉がおかしい。デライトって悦び、ってことでしょう。舌の上でとろける愉悦、という感じを菓子の名に託しているわけでしょう。この大げさにちょっとエロティックな雰囲気がたまらないわけでもあるのだが。

私も海峡を抜けた彼の地イスタンブールでこのデライトをお土産として買った記憶がある。現地のガイドさんが、バスの中で配っていた記憶もある。
ハワイのマカデミアナッツ入りチョコレートか京都のおたべかというくらいトルコ土産の代名詞となっているわけだ。

だからといって、包みを開けてその悦びをつまもうとしたとき、ブルーモスクに思いをはせるわけでもなく、「わぁ、ゆべしだ」ととっさに思うのは私の非常に土着な部分ゆえである。
日本にお住まいのトルコの方が、お土産に東北のゆべしをいただいて、包みを開けたとたん、あのデライトを思い起こすようなことはあるのか。白い粉が、粉砂糖じゃない分だけ、トルコの方の落胆は大きい気がするのだが。

2010年4月28日水曜日

アジア、というくくりの感覚

2年ぶりこの更新です。
昔はよくいろんな更新をしていたのに、ずいぶんと怠け者になってしまったものです。
インターネット感覚が作成してアップしてというところまでを一くくりとするホームページに集約されていた10年前に比べて、今は出来合いのシステムの中に、その瞬間瞬間を切り取って発信するという点が私にとっては敗因か。て、別に勝負ではないのだけれど。

さて、夫が日本滞在中、amazonにて購入、ホテルに送りつけ、運んできてもらったのがこのニューパソコン。日本製ではありませんが、自分自身だんだん日本製ではない感覚になってきているので、まあいいか。

ところでこの日本製ではないという感覚が最近最も自分を言い表している感じだと思うのです。
アジアに極東とルビを振ってファーイーストと読むような、かなり大雑把な「あっちらへん」というこの感覚。
中国をベースにした「あっちらへん」の感覚に私自身が取り込まれてどうするというのもあるけれど。それが在外邦人になって11年目の春ということなのならこの先どういう感覚の経緯をたどるのか自分の内なるアジアの変遷に大注目だ(うそです)。