2010年5月7日金曜日

気分はすっかり林芙美子

桐野夏生の「ナニカアル」読了。

ボルネオやジャワに引き付けられる。それと、その生涯のどこまでが真実なのかも。事実を知りたいわけじゃないけど。
新宿の記念館にも行ってみたいな。

ただし、最近の桐野さんの作品全般について思うことなのだけど、一番の山のところでぷつりとエピローグに入ってしまうあたりが残念。今回も、従卒らは本当に監視に当たっていたのか(少なくとも松本はそうだろうけど野口は?)斎藤の嫌疑はどうやって晴れたのか、芙美子の嫌疑もどうして?と一番の山のところでいきなり出産の話になってしまう。

しかし気分は林芙美子。今日のカレーにも「やはり外地の茄子は水っぽく大味だ。身のしまった小ぶりの茄子が恋しい」とか言いそうになったもん。

2010年5月6日木曜日

近い。

かなりどうでもいいことですが、こちらの人間の他人との距離というのは日本人のそれに比べて近い。

それは11年たった今でも同じ。

たとえば義母。たとえば会社の人。たとえばかかりつけのお医者さん。スーパーの列でまっている間のおばさんたち(この辺は生存競争かかっているという別の意味も含む)。

挨拶の種類に接吻、抱擁が含まれるカルチャーならではという気がしなくもない。
接吻について言えば、音を立てるだけでなく本当にほっぺにキスしてくる人。ほんとうに情の深い人とかが多いのだが、これはやっぱり戸惑う。

その辺の距離の近さは男女関係ないのでその辺も要注意だ。

最近はこの近さを(特に男性と対峙しているとき)特別な親近感と勘違いする女子、をするふり、を自分で眺めたりする複雑な技に磨きをかけている。これってでも、イタリア女子は普通にやっているからな。親近感を振りまいたあとで、なにげに罵倒したりするし。女は怖い。

のけぞるほど近くに寄られたり、腿、こすれあってるんですけどという位置に座ってきたり、いろいろあるがほんとうにそれ自体意味がない。その意味のなさに、やっぱ私はそういう風に育ってきていないというのが激しく反応する今日この頃です。

2010年5月5日水曜日

飲んでそのまま車で壁にドン!

先々週は映画見まくりだったのだが中でも2度見するほどよかったのが邦題「愛よりも強く」。
ドイツ映画だそうですが トルコ系ドイツ人の監督作品らしく、トルコ系移民を中心にしたお話。
監督の才能をうかがわせる激しい映画です。
とか書いてるけどほんとは主人公を演じたビロル・ユーネルという俳優がかっこよかったというだけの話です。私は歩くターキッシュデライトと名づけました。
昨年のSOUL KITCHENにも出ていらっしゃる。みなきゃ。
表情筋に人生を投げた感じがはみ出ていて。
飲んでそのまま車で壁にドン!

ドンした先で主人公のシベルに出会うわけですが、彼女も魅力的。
逃げ延びた先の故郷で、テレビに同じ名前の重量挙げ選手が出ているのを、「がんばれシベル」と応援するとこなどすごく可愛い。
それにしても日本のDVDのパッケージはあまり的を得ていないと思うな。ヨーロッパのエロ映画的だもん。
あのパッケージに惹かれて手に取る人は、そんなに満足しないと思う。
性的なことに縛られるのも人間というのを含みつつ、性的なこと以外に汲み取るところのたくさんある映画だという気がするけれど。

2010年5月1日土曜日

髪を切った

髪を切った。
髪を切るまでの逡巡としていつも行くところにいく以外に、最近ちょっと増えてきている中国人美容室にいってみるという選択肢があったがちょっとのぞいてみて男の美容師さんばっかりだったので怖くなってやめた。お客さんは割りとイタリア人の女の子とかいたけど。

去年日本で髪を切ったときは、若い男の子の美容師さんだったが、彼と話をしていて私の日本での実年齢というのを思い知らされた。やっぱり敬語だし。なのに若さからくる傲慢さみたいなものも感じたし。(別に失礼な態度というわけではなく、年代違うし、みたいな正義のようなもの。)
この年代の違いみたいな溝は、言いたいことをずばりと言ってのけてくれるという効果もある。あれ、年代同じだったら言わないだろうな、という。私の場合、「ずばり言うと、ふかわりょうみたいでしたねー」と。後ろのボリュームが多すぎた点を指摘しての弁。
あまりに的確だったので思わず一緒に笑ったわい。

で、いつもいく美容室では。
行く前からCarrèにしよう、そうしよう、と美容師がときめくのはわかっていたのだが、やっぱり。
普通にそろえてほしいのですが、の弁の出る幕もなく、「うん、長さもあるし、こうしよう」とCarrè決定。
Carrèとはおかっぱですね。
今回は前髪ばっさりやられなかっただけましかなぁ。
美容室で髪形についてああだこうだ言うのに腰が引けるという点を勘案しても、もうちょっと自己主張してもよかったな自分、とは思うのだけれど、なんか鏡越しに会話する際、そういう主張がなかなかし辛い。

ブロウにブロウをかさね、最後にヘアアイロンでまーーーっすぐに。
美容師的には一仕事した!という満足感でいっぱいになるのだろうけど、こんなブロウ、私自分じゃしないぞ。
でも、最近はこうして美容院で手間隙かけてもらって出てくるのもなんだかすきだな。

周りの評判は「あーあたしも小さいころこんな髪型にされてたー、やだったなー」という感じです。ありがとう、素直なみんな。

ターキッシュ・デライト

夫の滞在中父が託したお土産の中にターキッシュデライトがあった。
日本のお土産に、ターキッシュデライト。
さすが、うちの父。いかにもうちの父。そんな怪奇な行動と思ったら年金生活の余裕に任せ、最近は海外旅行三昧なのだった。最後に行った場所が確かトルコ。
いわく、「10日は長い」。
さすが、戦後を支えてきたジャパニーズビジネスマンの権化。
ターキッシュデライトはそのお土産、ということか。

デライト、という言葉がおかしい。デライトって悦び、ってことでしょう。舌の上でとろける愉悦、という感じを菓子の名に託しているわけでしょう。この大げさにちょっとエロティックな雰囲気がたまらないわけでもあるのだが。

私も海峡を抜けた彼の地イスタンブールでこのデライトをお土産として買った記憶がある。現地のガイドさんが、バスの中で配っていた記憶もある。
ハワイのマカデミアナッツ入りチョコレートか京都のおたべかというくらいトルコ土産の代名詞となっているわけだ。

だからといって、包みを開けてその悦びをつまもうとしたとき、ブルーモスクに思いをはせるわけでもなく、「わぁ、ゆべしだ」ととっさに思うのは私の非常に土着な部分ゆえである。
日本にお住まいのトルコの方が、お土産に東北のゆべしをいただいて、包みを開けたとたん、あのデライトを思い起こすようなことはあるのか。白い粉が、粉砂糖じゃない分だけ、トルコの方の落胆は大きい気がするのだが。